それでは古川祭*夜の部です。
中で太鼓を叩く、担ぎ棒が付けられているなどの特徴がある、山車から派生した「太鼓台」は関西や四国などの西日本エリアで多くみられるんですって。
前回では古川祭の夜祭を「起こし太鼓」と書きましたが、正しくは「起し太鼓」だそうです。これは国指定重要無形民俗文化財(ユネスコ無形文化遺産)に指定された後世に残すべき祭事ですね。
「起し太鼓」は日本三大裸祭なのだそうです。
「裸まつり」というと、厳寒の凍てつく空気の中、下帯姿、ふんどし一丁だけを身に着けた男たちが大勢で激しい揉み合いを繰り広げるというものをイメージしますよね。
奈良時代に始まったという岡山の「西大寺会陽」、1000年以上の歴史を持つ「岩手の黒石寺蘇民祭」、「愛知の国府宮はだか祭」とお正月前後の1、2月に行われ、一年の福を求めて激しい争奪戦を繰り広げる。漠然とですけどね、そう思っておりました。
ところが岩手県奥州市の黒石寺蘇民祭が、祭りの中心を担う関係者の高齢化と担い手不足で2024年、今年2月の開催を最後に終了となりました。来年以降は儀式のみ執り行われることになったのです。
そういう事情もあって400年の伝統を持つ、飛騨に春を告げる古川祭の「起し太鼓」が日本三大裸祭に加わったのかもしれませんね。
他にも大分では秋の裸祭り、福岡ではお正月に「玉せせり」という神事があります。
「起し太鼓」の青龍組も担ぎ手が足りなくて、他の組から応援で参加してもらっていることをリーダーさんがご挨拶で話され、後世に残していかなければ、という思いがひしひしと伝わってきました。若い人は都会へ出て行き、田舎には年寄りばかり。どこも同じですねぇ。
「起し太鼓」巡行の前には「とんぼ」という余興がありました。3mくらいの高さの太鼓の柱に登り、お腹で体を支えバランスをとる姿が蜻蛉に似ているということなのでしょう。
疫神を送り鎮めることを目的とした祭事です。
からくりには「山車からくり」と「座敷からくり」があります。 「山車」は神が出現する機微を示す象徴で、からくり人形は神の具現として「山車」に設置されています。 山車からくりは、仕組まれた糸を操作し人形を操る糸からくりと、ゼンマイ、バネなどを駆使して操る放れからくりがあります。
山車&屋台の祭礼には京都祇園祭、博多祇園祭、秩父夜祭、岐阜高山祭、近江長浜曳山祭が有名ですけど、飛騨古川祭も山車が9台曳揃う20日の朝は圧巻です。
9台の山車名は、神楽台・白虎台・鳳凰台・龍笛台・三番曳台・三光台・清曜台・金亀台・麒麟台・青龍台。
古川の山車は東西文化が巧く取り入れられ、絢爛豪華で見ごたえがありました!
羽織袴姿や巫女さん姿の少女、お稚児さんの行列も時代絵巻を見ているよう。
当日はJR高山ー古川間で臨時列車が運行されていました。
福善寺蕎麦屋さんでよもぎとろろ蕎麦(冷)と名物ごぼ天をいただいてみました。