薫風かおる?というよりも突風にのって黄砂の舞う中、はじめての古川祭に行って来ました。
古川祭は、日本三大曳山祭といわれる京都の祇園祭・埼玉の秩父夜祭・高山祭にも負けないくらい大規模で雅なお祭でしたよ。
仮装衆と呼ばれるパフォーマンスと、それを囃し立てる行列がみごと。からくりにあわせて小学生から中学生くらいの男の子の演奏が山車の前で披露されていました。
からくり人形は神の具現として「山車」に設置されています。
古川の古い町並みは白壁土蔵に水路とおおきな錦鯉が。
祭りの山車は、神が降りてくる依り代として用意されたもの。
桜と月。川沿いには桜が満開。
唐子がハシゴを持って福禄寿に歩みよります。
福禄寿の肩にのり、花ふぶき。左手の亀をよーくご覧ください。
あっという間に亀が鶴に早変わり。
小京都の風情が残る町並みは間口が狭く、建物は奥に長い特徴が。
19日の夜行われる「起こし太鼓」は日本三大裸祭にも数えられているという、勇壮で昼の“静に対し、男衆の“動”の力強い祭で司会の方がなんども「やんちゃ祭を最後までおたのしみください」と繰り返すほど。
幸運にもお昼の青龍組のからくり屋台(青龍台)を間近で見ることができました。
飛騨古川祭の山車からくり屋台は、1600年代に京都から高山へ伝わり、その後1700年代に入って飛騨古川に伝わったとアナウンスがあり、唐子がハシゴに乗り七福神の福禄寿の頭を剃ると、左手に持っていた亀が鶴に早変わりするという演目。花吹雪の量も惜しみなく次から次へと。観客は大拍手で、「高山祭よりもいい!」なんて声も聞こえてきたほど。💦
でもたしかに素晴らしい。
からくり台には2つあって、もうひとつは麒麟台。時間と場所がそれぞれ異なるので町の中を移動して歩きました。
「山車」はなぜ「山」の車なのでしょうか?それは、自然の山岳を模して作られたものだから。神様は山岳や山頂の岩や木に降臨すると感がられたため、山車はお祭りのあいだ神様を招き入れ、滞在していただくために作られました。その後、神様がもっと喜ぶよう、華やかな装飾がほどこされ、奏者や演者が乗れるようになり、町内を巡れるよう車輪が付けられていくうちに、今の形になりました。
山車から派生した「太鼓台」にも同じく車輪が付けられていますが、太鼓を叩く、担ぎ棒が付けられているなどの特徴があるようです。
次回は日本三大裸祭*「起こし太鼓」をご紹介します。