「親不知子不知」一度聞いたら、忘れませんよね?
1883(明治16)年に第2世代道路・親不知コミュニティロードができるまでは源義経や奥の細道の旅で松尾芭蕉と曽良も歩いたという波打ち際の古代道路、「天下無双の難所」とよばれた北陸一の最難所。その山道があります。
親不知コミュニティロードには
日本における近代登山の父と呼ばれているウェストン(1861年~1940年)像がありました。親不知に立ち寄り、日本アルプス白馬岳登山をしたことで知られていますね。
日本海を見下ろす断崖に建つ「親不知観光ホテル」の横を通り、舗装された遊歩道(コミュニティロード)を600m強進むとレンガトンネルへ降りる階段が見えてきます。延々とつづく階段。よく整備はされていますが、スニーカーじゃないと足を痛めますよ。💦
トンネルは約700mで、ちょっとした肝試し気分も。入り口には箱の中に懐中電灯も置いてあるというサービスぶりでした。
レンガのトンネルは旧北陸本線で使われていたトンネル(旧北陸本線は、1912(大正元)年に開通。1965(昭和40)年に廃線)です。
外反母趾だというのに、けっこう頑張って歩きました。
ここでチェック!「親不知観光ホテル」さんはペットと泊まれる宿でもあります。越後ときめき鉄道・親不知駅から送迎もしてくださるそうですよ。
親不知にある4世代道路とは、波打ち際を通る古代からの道(第1世代)、1883(明治16)年に開通した道路(第2世代)、国道8号線(第3世代)、北陸自動車道(第4世代)を指しています。1883(明治16)年に第2世代道路ができるまでは、崖の切れ込みなどに避難しながら、波の合間をぬって命がけで通り抜けるしかありませんでした。
「親不知子不知」の由来は諸説ありますが、ひとつは
「寿永の昔、壇ノ浦で滅びた平家の一族池大納言平頼盛は、死ぬべき命を敵の源氏に助けたれたが、 京童の悪評にいたたまらず、おのが領地の越後の蒲原の五百刈村へ隠れた。 この夫をしたって奥方もまたこの天険を通りかかり、ふところの愛児をさらわれた。」 悲しみのあまり詠んだ下記の和歌によって、「親不知子不知」と天下の険を呼ぶようになったといわれています。
親しらず子はこの浦の 波まくら越路(コシジ)の磯の あわと消えゆ
なんだか歴史のロマンを感じませんか? 由来の引用元は親不知観光ホテルサイトより
「えちごトキめきリゾート雪月花」(左)とラッピングデザイン列車
2024年4月27日 13時15分 糸魚川駅にて撮影
四季の自然美の代表的なものとしての冬の雪、秋の月、春の花で「雪月花」という。また茶の湯で、一座七、八人が雪・月・花の札をひき、雪に当たった人が菓子を食べ、月の人が茶を飲み、花の人が点前を行うもののことをいいます。建築デザイナーの川西康之さんが手掛け、2017年には鉄道車両の新人賞「ローレル賞」を受賞しました。
鉄印は、えちごトキめき鉄道・糸魚川駅にて。お菓子は南蛮えび煎餅がおすすめです。
久しぶりの鉄印の旅でした。仔猫たちの里親が決まり、やっと泊りがけでお出かけできるようになりました。(外猫さんたちへの餌やりがあるので留守にできるのは3日程度ですけど)
GW後半お出かけされる方、渋滞や事故にはくれぐれも気をつけてくださいね。
また、災害ボランティアで石川県へ入られる方、ごくろうさまです。熱中症にご注意。暑さには気をつけて、お怪我のないよう、お手伝い頑張ってください。