nekonoongaeshi’s diary

鉄印の旅と植物と保護猫と。田舎暮らしの日々を綴っています

文藝春秋の一週間

今週のお題「好きな小説」

9月に入り、少し涼しくなったのと時間的な余裕ができて8月に届いていた文藝春秋を読み始めました。朝夕涼しくなったと思えたのは錯覚だったのかというくらい、ここ数日は異常なほどの暑さです。

初秋の山は春から夏に生茂る雑草と違い、野草も茎や葉が固いので早めに草刈りをしないと後処理がたいへん。愛用していた電動草刈り機が壊れてしまい、主人が使うエンジン式の草刈り機を使いました。液体燃料を入れると5~6キロの重さになり、これが結構重労働なのです。たとえば米袋。5キロのお米の袋を肩にかけ作業する様子を想像してみてくださいな。草刈り機を右から左へ振って敷地内を少しずつ移動する。台風10号の影響であちこちに成長途中の毬栗が落ちていてガッカリ。

先日9日は「重陽(ちょうよう)の節句」でした。江戸時代から栗ご飯を食べる習慣がありましたが現在ではあまり実施されていないようですね。

 

熱中症かもしれないと思ったのは、その翌日にめまいや立ち眩みがして吐き気が止まらず、深夜に胃液ばかり吐いてエアコンをつけても寝苦しくて一睡もできなかったのです。身体がだるくてまっすぐに立って歩けない。症状から判断すると軽度の熱中症。こんなことは初めて。

今週は家事をセーブして本を読んで過ごしました。

7月の芥川賞予想では今回は予想どおり『サンショウウオの四十九日』が受賞したので嬉しかったです。文藝春秋9月号には受賞者インタビューと選評が載っています。

「医学部へ行ってこれは違うなと気づいた」いままで小説を読まずにきたのに突然、小説を書くようになったという朝比奈 秋さんのインタビュー記事。教科書でしか純文学を読んだことのない朝比奈さんが初めて自分でお金を出して買った本が『苦役刑事』と『共食い』の2冊だそうです。読まれて感化されるものがあったのでしょうか。

サンショウウオの四十九日』は何度か手直しをされたようで最初に書いた原型はほとんど失われているらしい。この作品は二つの人格が一つの身体を共有している「結合双生児」と「胎児内胎児」だった父と叔父のお話です。

一人称の「わたし」と「私」の語りが交互に交錯するかたちで物語は進みます。主に叔父の死から四十九日法要までの出来事に「わたし」と「私」の生まれた時から現在までを回顧する構成でした。

階段状のホールに学生が座り、白髪の館長がスライドショーの解説を始める。レーザーポインターを陰陽図に指し、陰陽魚という別名もあると説明すると、その白と黒のシンボルがサンショウウオのように見えてくる。1つの極が増大し成熟すると、やがてその中心に対極が生まれる。それがどういうことなのか考えるたびに「私」の頭の中でサンショウウオが育ってゆく。結果的に辿り着いたのは二人とも「私」なのではないか、という考え。自分たちが死んだとき、身体は1つなのだから骨壺は1つだろう、とか「死とは何か」「意識とは何か」片方だけ死ぬことなんてありえない……。

これは二重人格のお話ではなく「結合双生児」のお話、ある意味ではサイエンスフィクションでしょ。哲学でも宗教でもなく、医療従事者でなければ思いつかい発想の作品でした。

疲れているときは甘いもの補給が一番ですね 💖