nekonoongaeshi’s diary

鉄印の旅と植物と保護猫と。田舎暮らしの日々を綴っています

とっておきの、仰天エピソード

 

久しぶりの投稿になってしまいました。先日、11月20日は父の命日だったのですが、その日、俳優の火野正平さんの訃報が報じられました。

みなさんは日野正平さんのイメージってどんなですか?

nhkのbs「にっぽん縦断 こころ旅」という番組で火野正平さんが視聴者から送られたお手紙「こころの風景」を自転車で訪ねるというもので、うちは主人がその番組の大ファンでよく見ていたので私も一緒に見ていました。

東日本大震災のあった年、2011年にスタートして14年間で1200カ所(1200回、正確には1240回)の心の風景を訪ねられたそうです。

4月の2024春の旅が1週間で中止になり、持病の腰痛のリハビリに専念すると発表になったときは、ずいぶん無理をされているのだろうなと感じていましたが、夏に圧迫骨折でその後、他の機能も悪化し11月14日に亡くなられていたことが事務所を通して公表されました。

私はこの番組で火野正平さんに対する印象が大幅に変わった一人です。

花巻の鉛温泉に宿泊した時も、火野さんがマルカン百貨店の大食堂で食べていた特盛のナポリタンと聳え立つソフトクリーム、それと同じものを食べるために温泉旅行をしたようなもの。

京都編で視聴者のお手紙を大募集したときに、主人が「応募したら採用されると思う。面白過ぎる」と推してくれたのですが、結局出さず仕舞いで終わっていた火野さんにまつわるエピソードがあります。

今日はそんなエピソードを、はてなブログでちょこっとご紹介。

 

あれは私が22歳だったかな。女友達ののんちゃんと京都でお昼ご飯を食べていた時のこと。実は私は焼き魚の皮の部分が苦手で残していると、お隣の席の男性が

「食べへんの?ここが一番おいしんだぞ。食べ物粗末にしたらあかんで。」と言ってお箸でつまんで焼き鮭の背の皮をパクリと食べたのです。

え?!え”-噓でしょ。何よこの人って仰天しました。一緒にいたのんちゃんが小声で「あの人、俳優の火野正平さんよ」と教えてくれてクスクス笑って見ています。

私はというと、口があんぐりとあいたまま固まっていました。

この話を主人にすると「絶対、採用されるよ。応募してみたら?」

のんちゃんにメールを送ると「あの時の写真あるわよ~。うふふ」と悪乗りする始末。

 

今思うと、ボツ(不採用)になってもいいから応募しておくべきだったな、と少し後悔しています。テレビで紹介されなくても、火野さんにこんなお手紙が届いていましたよ、と番組のスタッフが伝えてくれたかもしれない。

2024秋の旅はピンチランナーをたてて番組がスタートしました。番組が春に用意した電動アシストのチャリ丸くん(2号)の出番はなくなってしまいましたね。

早いか、遅いかの違いはあってもみんないつか必ず死ぬのだから。

でも。少し早すぎましたよね。もっともっと走ってくれると思っていたものですから。

事務所の発表では家族に見守られて穏やかな最期だったそうです。

火野正平さん、14年間お疲れさまでした。

 

 

www.nhk.jp

はてなブログスタッフさん、振り返りメールありがとうございました。