nekonoongaeshi’s diary

鉄印の旅と植物と保護猫と。田舎暮らしの日々を綴っています

I’ll Be Hereと虹の橋伝説に想う

 雨上がりにふと窓の外に目をやるときれいな虹がかかっているのを見つけて心がなごむことってありますよね。

なぜだか気持ちがすーっと晴れてゆく気分。「虹の橋伝説」は今ではペットを飼っている人なら周知のポエムです。ネット上にはいろいろな方のそれぞれの詩の解釈、和訳などが溢れています。私はなかでも雁秋生さんという方の“『虹の橋』優しい言葉の由来と込められたメッセージ”が、淡々と解説しながらも心にしみてくる優しい口調で語りかけるような文章が好きです。

                    (虹と草原のイメージ画像フリーサイトから) 

保護猫の里親探しを始めて、大きくなった保護猫、障害を持って生まれてきた猫の里親が簡単には見つからないことを今回ほど思い知らされたことはありません。

愛犬仲間を中心に5000人近いお友達登録のあるフェイスブックをやっている知人がいて、子猫の里親募集をお願いしてみました。「犬も猫も両方飼っているよ。大変そうだから、1匹ならうちでひきとってあげるよ」という申し出をしてくださった方が数人。その方達が希望した猫はウイルス検査FIVで擬陽性の出た仔猫でした。一か月後の再検査の結果、陽性判定が出たことを知人を介して伝えましたらすべてキャンセル。ほかの猫と一緒に飼えないのであれば無理ということでした。猫エイズは人間や犬には移りませんが猫の多頭飼いをする場合はお部屋を別々にしなければなりません。抗体は 1 歳の再検査で消えることもあるそうですし、抗体を持ったままで発症せずに一生を終える猫もいるそうです。

ある動物保護ボランティア団体の方に「障害があったりエイズキャリアでどうしても里親がみつからなければ、皆さんはどうしてますか」と聞いてみました。その田舎の小さな街で学芸員をされている方なのですが、あっさりシビアな回答が返ってきて驚愕しました。

「避妊手術をしたあと元の場所に返してあげる」と。

そうすれば1代で一生を終えるから。この人は猫が好きでTNR活動をしているのではなく街の清掃活動の一環として街から野良猫を消してしまいたい、景観を守りたい、その一心で活動に参加しているのではないのか、そんなふうに思えてなりませんでした。

元居た場所に戻すというと聞こえはよいですが、それって捨てられていた場所に、一度捨てられた猫をまた捨てるということです。これを読んだ人はきっと誰もがこう言うでしょう。

「だったらあなたが飼えばいいんじゃないの?」

飼えない理由は申しませんが、そうですよね。それができれば本当によいのですが。

 

ポエム「虹の橋」の原作は三部構成ですが、作者不詳のため、世界中に語り継がれていくうちに少しずつ書き換えられていった可能性も否めません。要約すると詩の第一部は天国の手前には虹の橋と呼ばれる場所があり、そこには美味しい食べ物とお水が豊富にあってこの世を去ったペットたちはそこで元気に走り回り、貴方が来るのを待っているよ、という内容です。第二部は、この世で虐待を受けたり、捨てられてしまった、飼い主さんを持っていなかった動物たちも虹の橋の手前にある緑の草原を走り回り、お腹いっぱいのごはんを食べて幸せに暮らしているよ、誰からも愛されず、この世で独りぼっちだった人間とそこで出会い、お互い大切な人がいなかった人間も動物も一緒に虹の橋を渡ってゆく、という内容です。第三部は、虹の橋のたもとには冷たい雨が降り続いてやまない場所があって、あなたが悲しんでいるとペットはいつまでも土砂降りの中から抜け出せずにいるよ、という内容です。この詩を読むと涙が自然にこぼれてしまいます。

これは自分を慰めるための身勝手な人間のエゴでしかないのでは?と思うこともあります。でも、そう思うことでみんな一歩を踏み出しているのでしょうね。

 

私が見送った猫たち、いま保護している猫たちは虹の橋のたもとで私を待ってくれるのでしょうか。

「I’ll Be Here 」こんな日はパク・ヒョンシクさんの歌声をエンドレスで聴きます。

 

 

 

 

お題「小動物飼ってます。」